オーナーにとって、ペットの体調不良は大きな心配事です。皆さんの中には、ペットの突然の体調不良で動物病院に駆け込んだことがある方も多いのではないでしょうか。動物病院では、獣医師が丁寧な問診のもとに不調の原因を探ってくれます。実はこうした動物医療の現場において、「日常の生活記録(ライフログ)」が大いに役立つということを知っていますか?
「ライフログはどんなことに役立つの?」「それを利用すれば何ができるの?」。今回は、皆様のそんな疑問にお答えすべく、猫専用のライフログデバイスの開発にも携わる獣医師の小川篤志先生、日本動物医療センターの上野弘道先生、同センターの本間梨絵先生が集合。「ライフログ」を使った動物医療の可能性について、じっくりと語っていただきました。
上野 弘道 先生
日本動物医療センターホームページ
本間 梨絵 先生
原宿犬猫クリニックホームページ
目次
はじめに……
EBM・NBMについて知ってみよう
皆さんは、「EBM」や「NBM」という言葉を聞いたことがありますか。耳慣れない言葉かもしれませんが、人間動物問わず、医療界では広く浸透している考え方です。
まず、「EBM」はEvidence Based Medicineの略で、日本では「根拠に基づく医療」と訳されます。科学的根拠(エビデンス)、専門家(医師)の経験や知識、患者の価値観の3要素を総合的に判断して治療方針を決める考え方です。
一方で「NBM」とはNarrative Based Medicineの略で、「物語と対話に基づく医療」と訳されます。患者の話(=物語)をベースにして、その人本人の背景や人間関係までをも理解し、患者の抱える問題に対して、身体的のみならず、精神・心理的、社会的にもアプローチしていこうとする考え方です。
EBMとNBMは対立する考え方ではなく、患者中心の医療実現のための両輪として機能することが期待されています。
ペットのライフログは動物医療に、どう役立つの?
今日は皆さんと一緒に、動物のライフログ(=生活記録)が動物医療へ与える影響や可能性についてお話しできるということで、とてもうれしいです。 僕はこの「生活記録に基づく医療」を、「LBM(Lifelog Based Medicine)」と呼んでいるんですが、これについてぜひ、皆さんの意見を伺いたいです。どうぞ宜しくお願いします。
LBM、生活記録に基づく医療という考えは非常に面白いですね。このワードは、小川先生が考えたんですか
はい。そこに思い至った原点はTRVA(夜間救急動物医療センター)で勤務していた頃の経験です。勤務時には「もう少し早く連れてきてくれれば」と思ったり、「数時間前に何があったか分かるだけで推測できる病気を絞り込めるのに」と何度となく歯がゆい思いをしてきました。もしも、来院する前の情報であるライフログ(=生活記録)があれば、もっと早く病気に気づくことができるし、より正確な診察を行うための材料になるんじゃないかと、ずっと思っていたんです。ところで先日、AppleのスマートウォッチのCMに驚いたんですが、ご覧になりましたか?
意識を失った人の情報が、ご本人の時計を通じて病院に通報されるものですよね。
そうです!僕はあれをペットでもやりたいんです。やるべき、と言ってもいいかもしれません。人間は自覚症状を訴えることも、救急車を呼ぶこともできます。でも、動物はそれができません。オーナー様が異常に気づくまで、我々は動物を診療できない。つまり、動物医療は常に後手にまわっているというのが僕の基本的な考え方です。どうにかして、予防医療を発展させられないかという思いから、このLBMという考えが生まれました。
ログデータがあると、何ができるの?
治療の効果検証をオーナー様のお話に頼ってきた、これまでの獣医療の不足点を、ログデータは上手に補完して獣医療の質を高めてくれるはずと、私は考えています。また、人間が気付くことができないような、わずかな症状のゆらぎにも気付くことができるのではないでしょうか。本間先生は、日々オーナーの皆さんと向き合っていて、同様の思いを持ったことはありませんか?
動物は言葉を話さないので、確かに現在の動物医療では、オーナー様への問診がとても大事になります。ただ、感じ方は人それぞれですし、思い込みもありますから、100%正しい情報でないこともあるんですよね。「なんだか寝てばかりいるんです」という言葉をとっても、いつもより運動量が30%程度落ちているのか、90%くらい落ちているのかは分かりません。一番近くでペットを見ている方の言葉や目線は大事にしたいとは思うのですが、それだけでは足りないんです。ですから、普段のライフログがあると、診察の助けになると私も感じます。
そうですよね。たとえば、12歳以上でほぼすべての猫が関節炎を患っていると言われています。診察室にステップを作って、猫に上り下りさせて、その動き方で関節炎かどうかを判断できればいいのですが、猫の場合は診察室でいつもどおりの動きを見せないケースが多いので、関節炎にはなかなか気づけないですよね。でも、もしライフログがとれていて、家での様子がそこから読み取れれば、関節炎の場合も早期発見やモニタリングが可能です。
多飲多尿もですよね。お水をたくさん飲んで、おしっこをたくさんするこの病気においては、お水をたくさん飲むことを、オーナー様が良いことだと思ってしまうことも多いんです。もしもライフログで基準値を超える量を飲んでいると分かって、そのデータを獣医師が普段から共有できていれば「一度診察させてください」とお願いすることもできます。重篤になる前に注意喚起ができますよね。
アラートを獣医師側から出せるのは、画期的ですね! 僕も、ライフログのデータをオーナー様と動物病院が共有できれば予防医療や先制医療ができるようになると思います。これまでは、オーナー様の「主観」で異常を発見して病院へ連れてきてもらっていましたが、ライフログがあれば、たとえオーナー様が気づかなくても深刻な状態になる前に病気に気づくことができる。予防的な手立てを打てる可能性が出てきます。
そうなんです。問診では我々の聞く技術にもばらつきがあり、オーナー様もタイムラインに沿って正確に症状を話すことは難しい。それこそ「主観」や「気持ち」が入り込んでしまって我々が知りたい「ファクト(事実)」がブレることもしばしばあります。その中でライフログは、真実にたどり着くための鍵になってくれると考えています。